言葉ひとつで、見えないものをまるでそこにあるかのように見せる。
人間が夜空の星を結びつけて、勝手に名前をつけて呼ぶように…それが落語。
しかし、そう教えてくれた師匠は、ある日一切の連絡を絶って失踪しました。
師匠の帰りを待つ弟子が織りなす、下町情緒たっぷりの落語青春ストーリーをご紹介します。
残された3人の弟子のひとり、駆け出しの女性落語家・甘夏は、師匠の帰りを待つ中で、一門のゴシップや女性落語家への偏見と戦うことに。
教わったことを思い返して、意味をかみしめて、不在を受け入れていく時間。
答えはすべて落語の中にある…読み終えたとき、タイトルの意味を改めて考えたくなる作品です。
「甘夏とオリオン」を解説するよ!
「甘夏とオリオン」増山実|登場人物
「甘夏とオリオン」は、大阪の下町・玉出を舞台に、上方落語の桂一門を主役にした物語です。
- 桂甘夏…22歳女性。厳しい父親の影響で、アホになって人を笑わせたいと大学を中退して桂夏之助に弟子入り。
- 桂夏之助…桂一門の師匠。男前だけど独身で、身寄りがない。ある日行方をくらます。
- 桂若夏…甘夏の3ヶ月前に夏之助に弟子入り。女は落語に向いていないと甘夏を敵視している。
- 桂小夏…夏之助の一番弟子。真面目で面白みがないことに悩んでいる。
大阪在住の私には、馴染みのある地名がたくさん登場しています。
だけど、大阪にいても全然知らないことばかり!
甘夏が下宿している銭湯のおかみさんや、他の流派の噺家や師匠、3人が企画した寄席にやってくるお客さんなど、さまざまな人が登場します。
それぞれ考え方が異なり、みんな事情を抱えている…多様な価値観が入り乱れています。
「甘夏とオリオン」増山実|あらすじ・内容
落語の師匠・桂夏之助が、ある日突然寄席をすっぽかして失踪。
その日来なかっただけでなく、どこにもいなくて…どうしちゃったんだろう。
律儀な夏之助師匠が、家族同然の弟子にも黙っていなくなるなんて…。
事件か事故に巻き込まれたのかも、と考えますが、師匠はきっと帰ってくると信じ、待つことに決めた3人。
しかし、思いとは裏腹に、3ヶ月経っても夏之助の行方はわからないまま。
甘夏は、兄弟子たちと一緒に「師匠、死んじゃったかもしれない寄席」を開こうと思いつきます。
月1回、師匠がいなくなった日、甘夏が下宿している銭湯の、師匠が好きだった深夜の仕舞い湯の時間に。
大騒ぎになって引っ込みつかなくて、帰るに帰れない師匠が「死んでへんわ!」とツッコみながら帰ってくるんじゃないかという淡い期待を込めて。
落語家らしく粋なはからいだね!
師匠の不在に右往左往しながらも、甘夏は一歩また一歩と成長していきます。
「甘夏とオリオン」のタイトルに込めた意味
タイトルの「オリオン」は、オリオン座のことだよ。
弟子入りした頃の甘夏は、人間としても社会人としても、半人前で未熟で世間知らず。
夜の道を歩いていて「オリオン座がきれいやないか」と言った師匠に「師匠、オリオン座ってなんですか」と返す甘夏。
普段温厚な師匠が、珍しく声を荒らげて怒ります。
「ええか。勘違いすな。落語家は、落語のことだけ知ってたらええんと違う。常識を知らん奴が、人を笑わすことなんか、できん。(中略)人間にとって、無知は罪やで」
世の中には知っとかなあかんことがある、という師匠の言葉。
甘夏は、今すぐすべて理解できなくても、この夜を忘れないでいようと誓うのです。
「甘夏とオリオン」は、マイノリティの戦いを描いている
噺家っておじさんのイメージだよね。
落語は男の世界。大阪の上方落語には300人近い噺家がいますが、女性はそのうち20名程度です。
演目に登場するのは男が多く、男性が女性を演じるノウハウは蓄積されていますが、女性が演じるのはハードルが高いのです。
甘夏は、女性でありながら落語家を目指しますが、そこには「女だてらに」とか「男顔負けの」みたいな気負いはありません。
ただ、夏之助の落語に惚れて、自分が憧れた「アホ」になるために、身一つで飛び込んだだけ。
ですが、「落語は女には向かへん」「女の落語家なんか認めへん」という根強い偏見があります。
甘夏自身、初舞台では盛大にトチっただけでなく、観客アンケートでショッキングな言葉を書かれます。
女の落語家では、笑える噺も、笑えません。
だけど、甘夏だけでなく、みんなどこかしらマイノリティなんだよね。
兄弟子の小夏は、師匠に真面目すぎておもろないと言われ、「甘夏のトチリが羨ましい」とまで言います。
若夏は、九州の訛りがあることや、出身地を明かすことにコンプレックスを持っています。
実は、師匠の夏之助も、コミカルな落語家が多い中で、イケメンで鼻につくと言われていました。
訛りは悪いことじゃないし、真面目とかイケメンは一見いいことじゃない?
みんなそれぞれ、自分の生まれ持った特徴を活かしながら生きていくしかないのです。
壁一枚隔てた向こうは、思いもよらないところにつながっている
甘夏が落語家を目指したきっかけは、「宿替え」だよ。
甘夏は、夏之助の落語で「宿替え」という噺に感銘を受けて、弟子入りを志願します。
引越バイトをしたその日に、たまたまもらった臨時収入で聞いた落語が「宿替え」という引っ越しのテーマ。
これは運命を感じるのもうなずけるね!
「宿替え」では、なにをやってもうまくいかない男が、ほうきをかけるための釘を打とうとして、壁を突き抜けてしまいます。
壁一枚隔てた向こうは、思いもよらないところにつながっている。
普段は気づかずに生きているけれど、ふとした瞬間に気づくのです。
普段の生活でも、そういうことって身に覚えがあるよ。
「甘夏とオリオン」でも、モブキャラと思われた登場人物が、予想外の「ポジションにいたことをあとから知るなど、全部つながっています。
知る前と、知ったあとでは、自分の気持ちが明らかに変わっている。
そういった体験をしたあとの世界の見え方が、人を成長させ、視野を広げるきっかけになるのです。
甘夏とオリオンのカバーイラストは、自分の中の「松の湯」のイメージに近い銭湯を街歩きして探し出してアレンジして描きました。26号線から玉出の路地裏に入っていった、いかにもあの辺にありそうな銭湯を意識してます。二階に女性落語家が間借りしてそうな銭湯って、なかなか探すの大変なんでっせ🤣 pic.twitter.com/tqpC70c9Zc
— シマカワマサシ (@803MHz) July 23, 2020
「甘夏とオリオン」著者の増山実さんのコメント
Twitterで、著者の増山実さんご本人に記事をご覧いただきました。
ありがとうございます。 https://t.co/uYgLFaAEMC
— 増山実@甘夏とオリオン (@yusya_dengon) September 27, 2020
こうして反応していただけるのは、読書ブログやっててよかったと実感する瞬間です!
[jin-fusen3 text="これまで作者さんに頂いた反応をこの記事にまとめています。"]「甘夏とオリオン」増山実|まとめ
「甘夏とオリオン」は、ちょっとしたミステリー要素と、大阪の下町風情が味わえる作品。
女性の少ない業界で、男に染まるわけでなく自分を曲げるわけでなく、まっすぐに頑張っている甘夏に好感がもてます。
落語に限らず、どこの世界でも似たようなことがありそうだね。
落語に興味がない方にとっても、十分楽しめますよ。
全国的に展開する某進学塾から、『甘夏とオリオン』を国語の授業の教材に使いたいという連絡が来ました。
— 増山実@甘夏とオリオン (@yusya_dengon) August 5, 2020
小学生の国語の教材です。
もちろん喜んで許諾しました。
『甘夏とオリオン』が、塾の子供たちの国語教育に少しでも役に立ちますように。そして、子供たちが読書を好きになってくれますように。
「甘夏とオリオン」が国語の授業で読める子どもたち、羨ましいな!
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