ただ、生まれ育った場所で穏やかに暮らしたい…そんなささやかな願いが、こんなに難しいなんて。
故郷を追われ、文化を奪われ、母国語を禁じられても、守りたいものがありました。
樺太(サハリン)で生まれたアイヌと、ロシアに飲み込まれそうなポーランド人が織りなす、戦いの歴史物語をご紹介します。
直木賞受賞作で、2020年本屋大賞ノミネート作品でもあります。
芥川賞、直木賞、ほんま大賞、新井賞、山中賞の受賞ボードつくりました!
華やか〜〜〜!!!
伝統ある文学賞だけでなく、こうしていろんな書店員が自分のベスト小説を発表する、楽しいことだと思いません?
私は楽しい!!!
本屋には本屋の祭りがあるんだぞー!!! pic.twitter.com/X2OgZij6Gk— なかましんぶん編集長 (@NAKAMAshinbun) January 16, 2020
樺太(サハリン)、アイヌ、ポーランド…私にとって、縁のない遠い世界への扉が開いて、新しい景色が見えた作品。
燃えるほどの熱がある限り、生きていく…。
文明を押しつけられ、アイデンティティを揺るがされた彼らが、自らの人生をかけて守り抜いたものを見届けたいな。
「熱源」川越宗一|登場人物
「熱源」には、さまざまな出身の人たちが登場します。
- ヤヨマネクフ(山辺安之助)…主人公。落ち着いた性格で、自分のことを多くは語らない。
- シシラトカ(花守信吉)…ヤヨマネクフの幼馴染。飄々としていて楽天的。結婚相手を探し続けている。
- 千徳太郎治…和人の父とアイヌの母のハーフ。教員志望で頭がいい。
- キサラスイ…村一番の美人で、琴の名手。結婚を申し込む男たちには、基本的に塩対応。
- チコビロー…対雁を治める、アイヌの若き頭領。先を見据える力がある。
- バフンケ…樺太・アイ村の頭領。漁場を経営していて、がめついけれど同族愛は深い。
- イペカラ…両親を失い、バフンケの養女になった。ちょっとひねくれ者。琴が得意。
- チュフサンマ…バフンケの姪。病気で夫と子どもを亡くした。
- ブロニスワフ・ピウスツキ…もう一人の主人公。ロシア皇帝暗殺罪(濡れ衣)で樺太(サハリン)へ流刑になる。
- アレクサンドル・ウリヤノフ…ブロニスワフの大学の先輩。学生運動の首謀者。
- ヴァツワフ・コヴァルスキ…表向きは地理学研究者・小説家。祖国独立のために革命運動をしている。
- ユゼフ・ピウスツキ…ブロニスワフの弟。兄の罪の連帯責任でシベリアに流され、革命家となる。
- 金田一京助…アイヌ文化を研究する学生で、のちの助教授。1913年にヤヨマネクフの話をまとめた「あいぬ物語」を刊行し、「熱源」の元となった。
- 白瀬矗(のぶ)…世界初の南極点到達を目指す探検家。
彼らは、大それた偉業などではなく、自分たちのありのままの暮らしを続けるために、戦ってきました。
「熱源」をより楽しむために、知っておきたい地名
「熱源」には、私たちが普段耳慣れない言葉が多く登場します。
まずは、知っておきたい地名を解説します。
- 樺太(サハリン)…北海道の北にある島。アイヌの故郷。他にも独特の文化を持つ原住民たちが複数いる。
- 対雁(ついしかり)…北海道の地名。サハリンから移住したアイヌの村がある。
樺太は、今でも日本とロシアが双方に領有権を主張している、歴史に翻弄された島。
戦争の末、全島を日本に占領されたり、ロシアに占領されたり…。
「熱源」の舞台となる1900年代初めには、北緯50度を境目に、北をロシア、南を日本が占領していました。
「熱源」川越宗一|あらすじ・内容
ヤヨマネクフは、樺太(サハリン)で生まれましたが、開拓使たちに故郷を奪われ、対雁に移住したアイヌです。
和人たちにはバカにされ、ケンカをしたりトラブルを起こしつつ、なんとか暮らしています。
日本人の教師が勉強を教える学校に通い、日本に融和しながら生きていました。
そんなとき、村に天然痘やコレラが蔓延し、ヤヨマネクフも妻や多くの仲間を失います。
「ぼくたちは」太郎治がつぶやいた。「滅びちゃうのかな」(中略)
せめて墓標(アツシニ)を立てたいと思うが、施すべき複雑な模様も、掘り方もわからない。いま燃やされている老人なら、知っていたかもしれない。
熊送り(イヨマンテ)や、女性が口の周りに入れる刺青など、アイヌ独自の文化は、人とともに消えつつありました。
代わりに、日本が運んできた「文明」が侵食してきます。
優勝劣敗の摂理のもと、少数民族のアイヌは滅びゆく定めなのでしょうか。
自分たちは何者なのか。どこから来て、どこへ帰るのか…。
ヤヨマネクフは、いつの日か樺太に戻ると心に決め、数年の時を経て「山辺安之助」として帰ってきます。
ロシアの同化政策で、母国語を禁じられたポーランド人
ポーランドは、幾度となく世界地図から姿を消した国。
ロシアは、周辺諸国を圧倒する同化政策で、ポーランド語を話すことを禁じます。
傲慢なやり方に反発して、祖国独立を実現させようと学生運動に参加したブロニスワフですが、テロや暗殺などの暴力とは距離を置いていました。
何もしていないのに、皇帝暗殺の罪を着せられ、拷問の末に樺太(サハリン)に流刑、懲役と禁固25年となりました。
計画とは無関係の弟ユゼフも、シベリアに流刑となり懲役5年。
実行犯の青年の恋人ですら、彼氏からの手紙を受け取っただけで禁固2年…。
あまりの横暴に呆れてしまうほどですが、当事者たちはそれどころではなく、人生が狂ってしまいます。
失意のままに、樺太で過酷な労働をしていたブロニスワフでしたが、ギリヤーク(少数民族の原住民)と出会い、彼らとの交流で心を回復させていきます。
ギリヤークは、読み書きができない人も多いため、ロシア人たちに騙されて、漁場を奪われることも。
彼らにロシア語を教えながら、文化を研究し、民族学者として徐々に力を発揮していきます。
そんなブロニスワフも、心はやはり祖国ポーランドにあって、コヴァルスキはまたしても独立運動に巻き込もうとします。
アイヌ文化を守りながら、近代的な知識も必要
当時、優生学といって、頭の長さを測って、白人種の方が脳が発達している、進化した人類だとする説がありました。
だから、世界の支配者は白人種であり、無知で劣った民族よりも優れていると…。
多くのアイヌは免疫の知識がなく、「病原菌を体に入れるなんて、気持ち悪い」と、予防接種を受けませんでした。
予防接種さえしていれば、防げた病気で、あっさり失われた命。
自分たちを守るために、知識は必要。
だけど、アイヌ独自の文化を否定するわけじゃない。
我らが文明を教えてやらなくては…と言われても、ただの押しつけに過ぎません。
アイヌは決して知能で劣っているわけではありません。
統治者が次々変わったことで、ロシア語や日本語を耳で聞き、覚えて話せる人はたくさんいます。
欧米人や和人から、野蛮で未開の民族だと蔑まれても、それがアイヌなのだから。
必要な知識は手に入れて、独自の文化は手放さない…いいとこ取りかもしれないけれど、それが結果的にはアイヌを守り繁栄させる道だと思うのです。
「熱源」は、史実に基づいた歴史フィクション
「熱源」の元となったのは、金田一京助がヤヨマネクフの口述をまとめた「あいぬ物語」。
失われつつあるアイヌ語、アイヌ文化を記して、後世に残したい…という思いで書かれたものです。
アイヌがここに存在したことを証明するかのように、ヤヨマネクフは南極探検隊に志願しました。
ヤヨマネクフ=山辺安之助と、シシラトカ=花守信吉の名前は、南極探検隊の犬係として歴史に残っています。
アイヌのことをもっと知ろうと、Wikipediaを見ていたら、ブロニスワフが撮影したバフンケの写真が…!
ポーランドの項目には、ブロニスワフの弟のユゼフが、祖国復活の英雄として載っています。
金田一京助に「アイヌは消えゆく民族」と言われて、ヤヨマネクフは複雑な気持ちになります。
だけど、「熱源」で描かれた世界は、ちゃんと未来につながっている。
私たちが生きる現代は、過去の歴史すべての集大成。
きっと、彼らの誰もが必要な存在で、ひとりでも欠けていたら今の形になっていませんでした。
アイヌの女たちの強さ、決意が胸に染みる
「熱源」の魅力のひとつは、アイヌの女性たちの凛とした意志の強さ。
キサラスイは、言い寄ってくる男たちに見向きもせず、媚びない姿勢を貫きます。
イペカラは、社交的でもないし、料理も勉強もできない自分を受け入れて、琴の音色を頼りに、自分のできることを探しています。
チュフサンマは、疫病で家族を失い、深い悲しみを味わいます。
アイヌの大人の女性の伝統である、口の周りの入墨を入れるには、激痛を伴います。
ですが、「私はアイヌだから」「自分のことを自分で決めたいから」と、決意を強く持つ彼女たちは、とてもまぶしい。
史実では、アイヌの女たちについてはあまり深く語られていません。
史実に基づいた作品だけど、女たちのエピソードをたくさん盛り込んでいるのは、現代的ですらあります。
「熱源」川越宗一|生きるための熱の源を教えてくれる作品
アイヌもポーランド人も、存在すら認められず、何度も大多数に取り込まれそうになってきました。
そんな中、ヤヨマネクフもブロニスワフも、自分を見失いませんでした。
自分のことは、自分で決める…一貫してブレない姿勢に、「熱」をもらえます。
生まれたのだから、生きるのは必然。そこに、誰かの許可はいらないのです。
人が生きる限り、熱は消えないし、終わりも滅びもないのだから。
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